「明日は明日の風が吹く」ポジティブな気持ちを忘れずに
下積み時代を追え、美容家としての幕開けから現在まで、たかの友梨さんへ弊社代表の花上哲太郎がインタビューした2009年8月号の記事をご紹介します。
パリ修業時代に出会った美顔器『ヴィッキー』が大ヒット
花上 前号では、たかのさんが美容家としてのキャリアをスタートさせる前、そして現在のポジションを築かれるに至るまでの波乱の経緯をうかがいました。今号ではさらに詳しくうかがわせていただきたいと思います。
たかの 群馬の小さな理髪店で住み込みで働き始め、定時制高校に通っていたとはいえ、いわゆる普通の学歴コースとは別の道を歩んできた私が成功を収めることができたのは、学歴に頼ることがなかったからです。もっとも、頼りたくても勉強したくても、経済的に大学へ通えなかった事情もありました。「学歴が無いから腕一本で生きていけるようになろう」「失なうものがないから前に進むしかない」「学歴のある人と同じ事をしていても日本一になれない」という気持ちがあったからなのだと思います。学歴に縛られない、しがらみのないゼロからの出発には、チャンスが無限にあるということなのです。
花上 固い決心で理容師の道に入り、そこから美容の道へ。現在のポジションを確率するまでにも大きな困難や壁があったと思われます。
たかの 8カ月で終わりを告げた、パリ修行時代。それでもエステティックは夢の世界でした。しかし、パリから帰国してすぐにエステの仕事には取りかかりませんでした。日本にはまだエステを受け入れる土壌がなかったことと、パリ留学にありったけの財産をつぎ込んでしまって、蓄えもなかったのです。とはいえ、何か仕事をしなければ生活できない。そこで始めたのが、ある小さなビジネスでした。私の長年の悩みの種だったニキビがきれいに治った美顔器を、パリから持ち帰っていたのです。私は生活のために、この美顔器を家庭用に改良して売ろうと思いました。パリで学んだ「引き算の美容法」をコンセプトにした美顔器『ヴィッキー』の誕生です。週刊誌を使って広告も展開し、かなりの売上をあげましたね。そして、さらなるチャンスが微笑みかけたのです。コーセー化粧品が、店頭でのお客様へのサービス用にと3000台を店頭に設置することを決めたのです。それをきっかけに大ヒット商品になりました。
最初はお客さんが来なかった
それでもポジティブな気持ちを持ち、明日は明日の風が吹くと信じていた
花上 『ヴィッキー』の大ヒットがもたらした影響はどんなものでしたか。
たかの ヴィッキー時代は4年続きました。今振り返っても無我夢中でした。小さな成功は手に入れたものの「日本でエステサロンを開きたい」という夢はまだかなっていません。30歳までになんとかしたい。暗中模索する日々の中、ついに『たかの友梨ビューティクリニック』第1号店を新大久保にオープンすることができたました。しかし、希望に満ちてオープンしたものの、1カ月たっても、2カ月たってもお客様が来てくださいません。でも私は不安になることありませんでしたね。だめだったら別の方向で成功してみせる、というポジティブな気持ちでいたからです。たとえ苦しい状況下でも「明日は明日の風が吹く」といえる力強さが失敗を乗り越える一番の方法だと思います。
たかの友梨 Yuri Takano
理容師・美容師免許を取得後、1972年エステティックを本場で学ぶため渡仏。帰国後1978年「たかの友梨ビューティクリニック」を設立。その後、現在まで美容家として多岐にわたり活躍。2013年念願の学校法人「たかの友梨学園 たかの友梨美容専門学校」を開校。全国103店舗を構える企業の主催者としても、その独自の人材育成法が注目されている。