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熊本地震を経験して vol.2

アナリストコラム -

続く余震、眠れぬ夜

その後自宅に帰ると、我が家は無残にもめちゃくちゃになっていた。

改めて今回の地震の規模を肌で感じることになる。これは怖かっただろうと思わず唾をのむ。持ち出せる食材や着替えなどを持って避難所へ移動した。

高校の体育館の一角に我が家のスペースが作られていた。レジャーシートや毛布などを敷いた4.5畳ほどの区画に、家族と親戚の9人が川の字に寝ると寝返りが打てない状態だ。夜になるにつれて避難所に来る人たちは多く廊下にまで人が溢れた。

避難所では電気を消さないため子供達も全く眠る気配はない。何とか寝かしつけてようやく眠りにつき始めた1時半ごろだった。まさかの2回目の強烈な地震が発生。

ドン!と突き上げると同時に激しく大きく横揺れし、体育館がゆがむようだった。今までの余震とは比べ物にならないほどの大きな横揺れに人々の叫び声と、揺れから遅れて避難者の携帯から鳴り響く緊急地震速報の音が入り交じり、異常な空間が1分ほど続いた。

男の私でも死を感じるほどの恐怖。家族はきっともっと怖かったのだろう。誰も1回目を超える地震が発生するなんて考えてもおらず、自宅に戻った方々がこの本震で大きな被害を受けた。我が家も片づけた家具家電は前よりも激しく壊れて、建物、駐車場や道路には亀裂が入り、自宅マンションの地盤は激しく沈下し車が止められない状況。近所の家は全壊していた。

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避難所生活の実状、被災時の行動心理

恐怖で眠れぬ避難所生活は2週間にわたり、自分自身様々な経験を積むことになる。中でも災害対策本部を立ち上げて活動してきたことは大きな学びとなった。

そこにいる誰もが被災者だが、自分には被災者意識はなく、生きるために活動することしか頭になかった。生きるためにはまず衣食住環境を整える必要があったので、市の職員と協力して人数把握や配給、支援物資の管理をはじめ、病気の対策として清掃や運動を行った。運動では、私の妻である木原裕子が月リズムストレッチ教室を開催して、避難所内のコミュニテーを確立。個人のケアも行った。

住環境を向上するためには寝床の確保と通路の整備が必要不可欠。足の踏み場もなく年配者の夜間のトイレは特に危険だった。車いすの方が老老介護をしておりバリアフリー化も必要だった。特にノロウィルスが発生した時は大変で、住民がパニックを起こさぬように移動や清掃を徹底。

その他ペットの問題など様々あり、一つ一つを住民の皆様にご理解ご協力いただき整備していった。いやな顔をしたり、文句が出たりと一筋縄ではいかないことも多く、このような先の見えない状況下に置かれた時の人間の行動心理が嫌というほど分かった。

でも、市の職員も含め本当はみんなが被災している。家族を残して働いている。そんな人たちに罵声を浴びせるのは感情のままで簡単かもしれないが、対策を考え行動しなければ復興も環境改善もあり得ない。批評批判をすることは簡単だが、はたして自分にできるだろうか。

今は誰かの責任とばかりに犯人捜しをするのではなく、よくなる方法を住民全員が考え、ボランティアに来てくださる皆様の知恵を借りて進まなければならない。そこをはき違えてはならない。ボランティアの人たちが活動してくださる間に、全てを任せるのではなく動ける人が共に協力して活動しなければ、復興や自立は遅れるだけである。