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社会に必要とされるエステティック企業をめざして

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エステティック産業の第一次ブームともいえる1980年代より、東洋美容の考え方をいち早く取り入れ、“オリエンタルエステ”を提唱し先駆的な存在となった、株式会社スリムビューティハウス 代表取締役(CEO)西坂才子氏にお話をうかがった2013年3月号のインタビューを一部紹介します。

 

 

オリエンタルエステでエステティック業界を牽引


 

花上 貴社は“オリエンタルエステ”という当時は画期的なコンセプトで、エステティック業界を牽引していらっしゃいました。西坂さんはどのような経緯でエステティック業界に参入されたのでしょうか。
西坂 私は1980年に独立し、スリムビューティハウスの前身である鍼灸治療院「早稲田美容研究所」を開設しました。もともと、手に職をつけて経済的に自立した女性になりたいと考えていたのですが、四年制大学を卒業した当時は経済不況で、女性の就職も難しかった。そのような時に鍼灸治療と出会い、新鮮な驚きを感じたのです。そして、鍼灸をはじめとした東洋の知恵は、体の治療だけでなく、美容にも効果的ではないかと考えました。当時のエステティック業は成長産業でもあり、将来性があると感じていた。また私にとっても、女性ならではの感性を活かして一生続けられる仕事だと思い、エステティックを始めようと決意したのです。
花上 確かに約30年前はエステティックの第一次ブームで、起業する方も多かったですね。そのなかで、西坂さんはどのように多くの女性の心を掴むことができたのでしょうか。
西坂 当時は様々なエステティックがありましたが、表面的な美を追求するものが多かったように思います。しかし私は、内臓機能を活発にし、体の内側を健康にすることで美しくなろうという東洋美容の考え方を応用し、「オリエンタルエステ」というコンセプトを考案しました。エステティックサロンでは鍼灸はできませんが、カッピングやカップドレナージュなど、東洋美容ならではの技術を提供できます。当時としては新しい先駆的な考えであり、女性への訴求力は非常に高かったと自負しています。そして、83年にはオリエンタル・エステティックサロン「スリムビューティハウス」を吉祥寺にオープンしました。4年後には株式会社スリムビューティハウスを設立し代表取締役に就任、その後は非常に順調に店舗を展開することができ、160店舗ほどまで一気に事業を拡大していきました。

花上 西坂さんは、創業当時から戦略的な経営目線で会社を興されていったのですね。
西坂 しかし、躓きもありました。あまりにも事業拡大が早かったため、スタッフ教育が追いつかず、90年代後半には事業規模の縮小を迫られました。当時ではすでに、エステティックに関する相談は国民生活センターや消費生活センターにおいて多数を占めており、より信頼性の高い店舗づくりが求められていたのです。これが最初の躓きです。さらにその後、様々な業種で長期にわたる前売金制度の問題点が表面化したこともあり、数年間は財務の健全化に注力しました。それが奏功し安定を取り戻したので、また新たな戦略を立てているところです。
花上 健全化への取組みは、エステティック業界全体にも大きく影響しますね。
西坂 これまで様々なことを経験してきましたので、こうありたいという会社の姿や、やりたいことというのがはっきりと見えてきたのです。健全な経営は、法令を遵守した営業体制につながります。またお客様が安心して通え、満足度も高いサロンづくりにも集中して力を入れることができます。安全で信頼性の高い企業でありたいと考えるようになりました。

 

復興支援“ あなたのBEAUTYをPOWERに”


 

 

花上 ところで、西坂さんは福島のご出身ですが、東日本大震災ではご心痛が大きかったとお察しします。
西坂 震災後は私自身も福島の故郷に足を運び、被害の状況を目の当たりにしました。復興のためにいち早くアクションを起こしたかったのですが、震災直後は、危機感や不安感から東日本において買い控え、外出控えが目立ちました。エステティックサロンは不要・不急の事業でもありますので、震災直後にはお客様にどのような施術をお勧めするべきなのか、スタッフにも戸惑いがあったようです。そこで、“ あなたのBEAUTYをPOWERに” をスローガンとした「SlimBeauty プロジェクト」を立ち上げました。売上の一部を義援金および日本赤十字社の活動協力として寄付するもので、目標金額は1億円。本当に達成できるのか不安な時もありましたが、このプロジェクトにより現場スタッフのモチベーションが非常に高まったようです。営業としても良い結果が出せ、12年9月に目標金額を達成することができました。さらに社員一丸となって取り組んだ社会貢献活動など認められ、国からは紺綬褒章を、日本赤十字社からは金色有効章を授与されました。社会に必要とされる企業でありたいという思いが実を結んだと考えています。

花上 たいへん意義のあるプロジェクトです。“消費を通して日本経済を支えよう”という消費者の気持ちも後押しとなったのでしょうね。社会に必要とされる企業であるために、他にどのような取組みをされていらっしゃるのでしょうか。
西坂 社員教育や採用という面でも意識をしています。現在は就職氷河期で、大学生の企業内定率が非常に低い。こうした社会情勢を意識し、四年制大学の学生を5割程度採用しています。“人財”という言葉がありますが、会社にとって社員は本当に財産。以前は社員間で競争をさせるようなこともありましたが、現在は大事に育てていくのを基本としています。なぜなら、接客業に携わる人は他者から大事にされていないと、よい仕事ができないと思うからです。また、会社の売上状況など、経営内容は社員にすべて公開しています。情報を開示して社員に考えさせることで、考える力をつけるよう、促しています。
花上 現在の日本のエステティック市場をどうご覧になっていらっしゃいますか。
西坂 美容に対する需要はもちろん大きいと思います。しかし、人口減少時代にあっては、どうしても国内のマーケットはシュリンクしていくでしょう。 経営者としても、また私個人としても、グローバルな視野で物事を考えるよう心がけています。そのせいか、他国の方と話しても違和感がありません。何よりも、新しいことに挑戦するのが楽しいですし、とてもワクワクしますね。オリエンタルエステを、海外のたくさんの方に受けていただきたいです。

 

西坂才子 Saiko Nishizaka

青山学院大学を卒業後、鍼灸専門学校を経て、鍼灸師の資格を取得。1983年、「武蔵野鍼灸センター」を開設した後、「スリムビューティハウス」の展開をはじめる。日本美容福祉学会理事。財団法人自由アジア協会理事。財団法人日本エステティック研究財団会員。日本エステティック協会会員。有限責任中間法人日本全身美容協会会員。日本美容皮膚科学会会員。