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40才からエステティシャンに!ブライダルエステの母 森本チヅ子先生

連載 -

エステティシャンの先輩の人生を紹介するプレシャスインタビュー。第1回目となる今回は、“ブライダルエステの母”と呼ばれる森本チヅ子先生。実はエステティシャンになったのは40才を過ぎてから、という驚きのエピソードも飛び出します。

 

森本チヅコ氏



――先生のご経歴を自己紹介代わりにお話いただけないでしょうか。


森本チヅコ先生(以下敬称省略) わたしは東京女子体育大学を出て22~24才までの2年間、体育教師をやっていて。けれど、元々派手好きだから、髪は紫に染めて、真っ赤なマニキュアを塗っていました。それで生徒の身だしなみを注意をしても「先生だって染めてるじゃない!」と返されてしまって、あまり指導にならなかったですね(笑)。

 

生徒は可愛かったけれど、後ろから突然ジャンプしておぶさってきたり、とにかく元気いっぱいで。それを厳しく叱ったりするうちに、「このままだともっと厳しくしてしまいそう」と思い悩むようになり、退職しました。

 

退職後は、その当時流行っていたジャズ体操の助手として、NHKでテレビ体操を担当していた湯澤 きよみ先生について全国を講演してまわりました。そうするうちに、気が付いたら27才になっていて。

 

 

――とっても早く時間が過ぎ去ったのですね。ご結婚されたのも27歳のときとおっしゃっていませんでしたっけ。

 

 

森本 そうです。当時は25才超えたら晩婚と言われる時代でしたからね、特別早いということもなかったです。結婚したのは、生徒さんの甥っ子さんです。この方は体操教室の生徒さんたちがあれこれ噂をしていた人で。でも、会ってみたら噂から想像していたイメージとはまったく違っていました。でもね、私には「この人なのかな」と思えたの。以前に占いで言われた“運命の人”像そのまますぎていて。それで結婚したんです。

 

 

 

エステティックに出会ったのは悩まされた湿疹のおかげ




森本 結婚して主婦となり、主人の転勤が多かったのもあってか、ストレスで全身に湿疹が出ました。今思うとアトピーだったのかもしれないけど、顔も体も真っ赤でブツブツで。不憫に思った父が、漢方医や皮膚科など色々な病院に連れて行ってくれました。でも、まったく治らなかったの。

何度目かの転勤で横浜に住んだ時に「この病院には行ってなかったな」と思い、大きな病院を受診しました。診察してもらうと「即入院!」と言われて。医師は、体内に腫瘍ができていて出血していると思われたようです。すぐ入院し検査したのですが、私はそこから3日間まるまる眠ってしまったの!疲れていたんですね、身も心も。けれど、検査の結果は、原因となる病気はないというもので。

 

「なーんだ、病気じゃなかったら好きなことをしよう!」と、それからはプールに行ったりジムに行ったり、好きに過ごしました。そんな中、エステティックサロンに出会ったのです。サロンでゴマージュを受けるうちに、何をやっても治らなかった湿疹が驚くほど改善して行きました。それで「エステって凄いな」と思って。それで意識するようになりました。

 

 

――思わぬところに出会いがあったのですね。ご自身でエステをやろうと思われたのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

 


森本 ある時イベントでエステのデモンストレーションを見て「インストラクターってかっこいいな」と思いました。私は元々新体操をやっていて、実はインカレで2位になったこともあり、華やかな世界が好きだったため憧れを持ちました。そこでまずは、エステティックスクールで3カ月間学びました。その時すでに私は40才、周りは若い子ばかりで私一人おばさんで厳しく辛かったですね。

 

 


その時に、かばってよくしていただいたのが森柾秀美先生です。先生には本当に助けられました。入学した時は、卒業後独立しようかと思っていたのですが、会社の方に誘っていただいて、そのまま学校系列の滝川でインストラクターとして働くことになりました。

 

 

 

ブランドイメージに合うよう、徹底指導を受けたインストラクター時代



――先生はカリタのインストラクターもなさっていましたよね。


森本 そう、滝川に居たのは半年くらいですね。滝川を辞めて「この先どうしようか」と思っていた時、友達が新聞でカリタのインストラクター募集を見つけたんです。その友達に「滝川にいて、その後カリタに行ったら、エステティック業界ではエリートだよ」と言われて、「確かに!」と、ダメで元々と思い採用試験を受けてみたらなぜか採用されました。


タイミング的にも恵まれていて、皮膚理論などを担当していたおじいちゃん先生が引退する時期で、ちょうど落ち着いた感じの人を探していたというのもあったのでしょうね。採用していただいた理由に一つになっていると思います。

当時のカリタは、本当にきれいで洗練された方ばかりで。その時にまだソバージュだった私は、早速美容院に連れていかれ、ブランドショップに連れていかれ・・・ブランドイメージ合うよう指導されました。先生には「森本さん、女性は1kg痩せるごとに垢抜けるのよ」と耳元で囁かれ、さり気なくプレッシャーを与えられて(笑)

 

 

その時の私は、表参道も青山も通り過ぎるだけ。ブランドショップに入ったのもその時が初めてという状態でしたから。置き換えダイエットやマクロビオティックスなど、色々試してダイエットをしましたね。「今やるしかない!」と、必死にがんばりました。

 

――とっても貴重なご経験だと思います。羨ましいです。今の洗練されたイメージは、この時のご経験が影響されていらっしゃるのかもしれませんね。

 

 

 

 

同じ花嫁はいない。だからエステもオートクチュールが当たり前


 

――ブライダルを始められたのは、独立されてからでしょうか。


森本 そうですね。サロンを開いたばかりで実際のお客様は1人も居ない状況だったころ、知り合いの娘さんのブライダルエステを担当したのがきっかけになっています。当時(19年前)からすでにブライダルエステはありましたが、今のように、結婚式の前にブライダルエステを受けるのは当然というような時代ではありませんでした。

先輩や先生にサロンワークやブライダルエステを習うということがそもそもない時代だったので、いろいろなサロンのメニューを見たり、雑誌を読んだりして研究しましたね。

 

――独学でコースの組み立てからなさっていたんですね!


森本 そうなんです。だからこそ、いろいろなことに気がつきました。3ヶ月コースとか6ヶ月コースはなぜあるの?とか。どうして3カ月と6カ月なの?って、疑問でした。でも、確かにお悩みがにきびだと最低3ヶ月はかかるだろうし、シミだと最低6ヶ月はかかると自分勝手に解釈して、「上手くできているな!」とも思っていました。サロンの集客法としてはとても優秀だったからです。

 

 

さらに、サロンでたくさんの花嫁様にブライダルエステをするうちに、個々の事情が違うことに気づきました。ご要望を聞いてみると、誰1人「みんなと同じコースで」と言う花嫁様はいませんでした。それに気付いてオリジナルのオートクチュールコースをつくりました。

「ブライダルの母」というのは、ある有名なライターさんが付けて下さったネーミングです。本当に感謝しています。

 

 

これからのAI時代、エステは唯一無二の仕事になる



――最後に、現役エステティシャンや美容業界で働く女性、これからエステティシャンをめざす学生さんにむけてメッセージをお願いします。

 

森本 これからは世の中がどうなるのか分からない激動激変の時代。そんな時代にエステティッシャンになろうと思っている方、サロンを起業しようと思っている方には、「この仕事を選んで正解!」と拍手を送りたいです。
これからの時代は、単純作業や過酷な作業は機械に代わり、どんどん職業が奪われていくと思います。それに対し、私たちエステティッシャンは、機械には代われないお仕事です。肌と肌を合わせ、心を一つにできる唯一無二の仕事になると思います。男性も女性も、独立して生きていける時代だから、なおさらこの仕事の需要は高まると思います。

そして何より、エステティックの仕事を「楽しんで」欲しいですね。それが長続きするコツだと思います。よりクリエイティブに、みなさんの手でエステティックを創りながら続けて行くことで、エステティシャンという職業自体がさらに素晴らしいものに育っていくと思います。

どうぞこれからの皆様の力で、エステティックを「楽しむ仕事」にして下さい。

 


たびたび書店で見かける女性誌にも登場する森本先生。先生の美しさと技術のすばらしさから、「きっと若い頃から優秀なエステティシャンだったに違いない」と思い込んでいたので、主婦を経て40才という遅いデビューだったと知って本当にびっくりしました。先生のお話をうかがって感じたことは、「もう●●才だから」「私はこうだから」と年齢や形を気にして色々なことを諦める必要はないということ。夢や希望を追いかけることに、遅いということはないのかもしれません。

 

 

森本チヅ子


(株)ラ・ボーテ・アクアボン もしくは 一般社団法人グローバル ブライズ ビューティ協会 理事長
東京女子体育大学卒(新体操)。高校の体育教師を経て、企業内体操やフィットネスの普及に努めた後、(株)カリタに入社。本場パリカリタのトレーナーから直に指導を受けながら、全国のカリタサロンのインストラクターを長年務める。エステティシャン協会の認定校であったカリタエステティックスクールでは、講師として「皮膚科学」「生理解剖学」「大脳生理学」「エステティック概論」「カウンセリング論」「栄養学」「フィットネス論」などを幅広く担当する。エステティシャン歴は30年以上。現在、その豊富な知識と経験をもとに、心身ともにリラックスできるサービスをご提供することで、美の階段をのぼる女性のサポートをしている。

 

 

文 永山泰子(美容経済新聞社)